車いすバスケットボール選手の鳥海連志さんは多くの人から「かっこいい」と言われています。
その理由からスポーツ選手として挑戦し続ける姿が見えてきます。
そこでこの記事では、鳥海連志さんがなぜかっこいいと言われるのか、その理由を3つに分けて詳しく解説します。
出身や生い立ちからも、鳥海連志さんの魅力に迫ります!
鳥海連志かっこいいと言われる3つの理由!
鳥海連志さんがかっこいいと言われるのは、顔立ちだけでなくプレーやコメントなどの内面にも理由があります。
「顔立ち」「プレー」「コメント」を詳しく見ていきましょう。
顔立ちがかっこいい
鳥海連志さんの顔立ちがかっこいい、と多くのファンを魅了しています。
強い意志を感じさせる静かな瞳、シャープなフェイスライン、そして整った鼻筋。
多くのファンが「どきどきするほどかっこいい」「とても爽やかでかっこいい」「心からかっこいいと思える」と言っています。
特にSNSでは「イケメンアスリート」として話題になることも少なくありません。
はぁ、、今年も鳥海連志さんはかっこいいな、、TLから流れてくるイケメンの数にため息(正確には昨年末)RT
cr. beyondctrlman pic.twitter.com/j1I3mYj7e6— そこ(soko) (@psocco) January 5, 2023
駅で見かけたポスターのこの方を見にやってきました🏀
パラ神奈川SCというチームに所属してるんですね‼️
試合前練習からかっこいいです✨😊#鳥海連志#パラ神奈川スポーツクラブ#千葉ポートアリーナ pic.twitter.com/HsYvq15edv— のんちゅき\♡︎/ (@tsk_nrk_1656) February 26, 2023
そのルックスだけでなく、常に挑戦する内面の強さが表れていることも顔立ちのかっこよさを引き立てています。
プレーがかっこいい
鳥海連志選手のプレーは、まさに「かっこいい」としか言いようがありません。
彼のプレーを一言で表すならば、「スピードスター」。
その素早さと正確さは、多くのファンを魅了しています。
鳥海選手のプレーの中でも特筆すべきは、その圧倒的なスピードです。
両下肢を3歳のときに切断し、右手の指は4本、左手の指は2本しかないというハンデを抱えながらも、車いすを自在に操り、コートを駆け抜ける姿はまさに圧巻です。
車いすバスケットボールの鳥海連志選手イケメンだわ。
プレーしてる姿はもっとかっこいいわ。#車いすバスケットボール#鳥海連志#パラリンピック pic.twitter.com/5Ybub6QFz7— ROSE (@ROSE24357) September 3, 2021
そのスピードと機敏さで相手チームのディフェンスをかわし、ゴールに向かって突き進む姿はまさにリアル流川楓(スラムダンクの登場人物)を彷彿とさせます。
彼が初めてアジアユースパラゲームスに出場した2013年には、見事2位獲得に貢献しました。
2015年には、三菱電機2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ千葉で存在感を発揮し、その後は日本代表に定着。
2016年にはリオパラリンピックに最年少選手として出場し、将来を期待される選手としての地位を確立しました。
彼のプレーを見た人々は、その華麗な動きと力強いプレーに感嘆し、彼を「リアル流川楓」と呼ぶようになりました。
車いすバスケットボール界の「流川楓」 日本男子の若き顔、鳥海連志https://t.co/z5HnajaNr7
スラムダンクの「流川楓のようだ」とSNS上で言われた鳥海連志選手
「すごくうれしいですけど、流川みたいな華麗な選手というより、泥臭く、ディフェンス面でチームへの貢献度を高めたい」 pic.twitter.com/l9l44zPLL3
— 朝日新聞デジタル (@asahicom) September 5, 2021
コメントがかっこいい
鳥海連志選手は、プレーだけでなく、そのコメントも「かっこいい」と評判です。
鳥海選手は「僕は義足というものに対して、障がい者という先入観ではなくて、かっこいいという言葉がまず出てくるようなスタイリングをしたいと思っています」と語っています。障がいを持つ自分を卑下することなく、むしろ誇りを持って生きる姿勢が表れていますよね。
このようなポジティブな発言は、多くの障がいを持つ人々に勇気と希望を与えてくれます。
(1/2) #鳥海連志 選手の言葉には力がある。昨日のファンを喜ばせるコメント。
僕、大会とか試合やる上では、チーム全体で勝ちに行くいうことを言ってるんですけど、あの、チームというのはただ単に選手、スタッフだけではなくて、こうやって応援してくださるみなさんが、含めてチームだと、僕は呼んで pic.twitter.com/mZKNbhCh43
— ぐる (@beyondctrlman) August 14, 2022
鳥海連志の出身や生い立ちは?
鳥海連志さんの出身や生い立ちなどから、どのように今の鳥海連志さんを形成したのか見ていきましょう。
鳥海連志の出身地
鳥海連志選手は長崎県西海市の出身です。
自然の中で遊ぶことが多かった鳥海連志さんは、幼い頃から活発な子どもだったようです。
通っていた保育園「菜の花こども園」は山を切り拓いて作られたような場所で、自然に囲まれた環境でのびのびと過ごすことができました。
保育園には滑り台になった階段や山の斜面を利用した遊び場があり、鳥海連志さんはここで自由に遊び回っていたそうです。
「普通の子どもだった」と語っていましたので、ご家族が温かく見守っていらしたことが感じられます。
【跳び箱から飛び降りたことも】楽しそうに走る男の子は保育園時代の #鳥海連志 選手。#車いすバスケットボール の日本代表として #東京パラリンピック で大活躍した #鳥海選手 に島沢優子さんがインタビュー。前編では幼少期からを伺いました。@glitters_sports@bibirinba https://t.co/O9N2fRCvTw pic.twitter.com/uxR40LTaEZ
— FRaU(フラウ) (@frau_tw) December 2, 2021
この保育園の先生たちと鳥海連志さんの両親は、方針や成長についてしっかり話し合い、「やりたいことは何でもやらせる」ということを決めていました。
この方針から鳥海連志さんがどんな障がいを持っていても、自分のやりたいことに挑戦できる環境が整っていたようです。
鳥海連志の生い立ちは?
鳥海連志さんは生まれつき両手の指の本数が少なく、脛骨が欠損していたため、3歳の時に両下肢を切断しました。
このような状況にもかかわらず、障がいを克服しスポーツ選手としての道を歩み始めます。
鳥海連志さんが自分の障がいを初めて意識したのは幼い頃のことです。
やりたいことは何でもやらせてもらえる環境だったとはいえ、やってみてできないこともあったと思います。
それでも抵抗や不安を感じることなく、自分が他の人と違うことを認識していたそうです。
鳥海連志さんがスポーツと関わるようになったのは中学1年生の時です。
最初はテニス部に入りましたが、すぐに車いすバスケットボールに転向しました。
それまでは小学校の6年間でサッカー、野球、バドミントン、バレーボールなど、様々なスポーツを経験していましたが、どれも遊びの中で覚えていったそうです。
バスケットボールとの出会いは、家族の影響が大きかったのでしょう。
鳥海選手の家庭はバスケ一家であり、兄のミニバスの試合を応援し、父と一緒にバスケをしていました。
そのため、バスケの道に進むことなったのは自然な流れだと思います。
最初に所属した佐世保WBCは九州の中でも強豪チームであり、レベルの高い環境で練習を始めます。
鳥海連志さんはこのチームで基礎をしっかりと学び、成長の機会をたくさん与えられました。
先輩たちとの練習を通じて、シュートやスピードなど様々な面で目標を立て、一つひとつ克服していきました。
車いすバスケットボールを始めてから1年あまりで、鳥海連志さんは世代別の強化合宿にも呼ばれるようになります。
その後仲間と切磋琢磨しながら厳しい練習を乗り越えて、日本代表としての地位を確立していきました。
感謝を胸に新天地へ リオ・パラリンピック車いすバスケット日本代表 鳥海連志「東京で金メダル」へ全力(長崎新聞) https://t.co/xoV43Cy1Pc pic.twitter.com/w3fsLJaqF1
— nagasaki (@nagasak50828535) March 24, 2017
西海市さん、愛に溢れてる❤️
リオパラリンピック時の広報誌を発見✨
初見の素敵なお写真ばかり💕
大崎高校に行ったばかりだから、余計に胸熱😌https://t.co/TuHUmr6SVM#鳥海選手#鳥海連志#レン活#西海市#大崎高校 https://t.co/W5cEnvk5RO pic.twitter.com/6PnV8ntob4— ぐる (@beyondctrlman) January 19, 2022
まとめ
鳥海連志さんがかっこいいと言われる3つの理由!出身や生い立ちについてまとめました。
鳥海連志さんはSNSでかっこいいと言われ、とても人気があります。
出身や生い立ちから、鳥海連志さんが鍛え抜かれたプレイを生み出す原点が見えました。
パリパラリンピックでは、かっこいいプレイとコメントを期待したいですね!