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【阿部詩】出身校まとめ!怪物のように強かった学生時代とは?

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阿部詩さんは東京オリンピックで金メダルを獲得し、驚異的に強い柔道家です。

阿部詩さんの出身校や学生時代の経験が、「怪物のように強くなりたい」と願っていたことに繋がっています。

そこでこの記事では、阿部詩さんの出身校まとめ!怪物のように強かった学生時代についてまとめました。

また兄の阿部一二三さんと阿部詩さんの温かいエピソードもご紹介しますので、最後までチェックしてくださいね。

阿部詩の出身校まとめ!

阿部詩さんの出身校をまとめました。

  • 日体大
  • 夙川学院高校
  • 夙川学院中学校
  • 神戸市和田岬小学校

では大学、高校、中学、小学校の順にご紹介します。

オリンピックに初出場した日体大時代

日本体育大学は偏差値46~57で、文武両道を目指しています。

特に体育の実技の授業が豊富でレベルが高い学校です。

スポーツを学ぶための最先端の設備が充実していますので、アスリートとしては最高の環境で過ごすことができます。

阿部詩さんは日体大に在学中の2019年5月に開催された、グランプリ・フフホトで全て一本勝ちし、2連覇を達成しました。

この大会での圧倒的な勝利は、実力を改めて証明するものでした。

同年8月には東京で開催された世界選手権で優勝し、昨年に続き2連覇を果たしています。

しかし、同大会で兄の一二三さんは3位に終わり、兄妹揃っての優勝は叶いませんでした。

詩さんは「お兄ちゃんが負けたのは悔しいけど、まだ道はあると思う。もう一度私を引っ張ってもらえる存在になってほしい」と語っています。

兄の一二三さんへの思いやりが熱いですね。

世界選手権後、詩さんは再び世界ランキング1位に返り咲きました。

11月のグランドスラム・大阪では、国際大会デビュー戦以来続いていた対外国選手の連勝記録が48で止まりましたが、その後も彼女の勢いは止まりませんでした。

2020年2月のグランドスラム・デュッセルドルフで優勝し、その結果を受けた強化委員会では、全員の満場一致で東京オリンピック代表に内定しました。

また詩さんは日本オリンピック委員会(JOC)のシンボルアスリートにも選出され、その実力と人気を兼ね備えた選手として認められました。

新型コロナウィルスの影響で試合が中断された期間を経て、2021年3月のグランドスラム・タシケントで詩さんは再び優勝しました。

その勢いのまま、5月のグランドスラム・カザンでもオール一本勝ちで優勝を果たしました。

そして迎えた7月の東京オリンピックでは、詩さんは見事に金メダルを獲得しました。

さらにその直後に兄の一二三さんも優勝し、史上初のオリンピック兄妹同時優勝という快挙を成し遂げました。

オリンピック後も詩さんの活躍は続きました。

2022年7月のグランプリ・ザグレブで優勝し、10月の世界選手権では3度目の優勝を飾りました。

12月のグランドスラム・東京でも優勝を果たし、その実力を世界に再び示しました。

詩さんは、東京オリンピックで兄と共に金メダルを獲得した際、「小さな頃からの2人の夢。思い続ければ夢は実現するんだなって思った」

この言葉からもわかるように、詩さんの成功の背後には、兄との深い絆と共に歩んできた努力の日々があります。

大きく成長する夙川学院高校時代

阿部詩さんは兵庫県にある夙川(しゅくがわ)学院高校の出身です。

夙川学院高校は偏差値54~56で県内10位の学校です。

部活動が盛んで、多くの部が全国大会に出場しています。

プロテニス選手の岡本聖子さんなど、有名な卒業生も多数輩出しています。

阿部詩さんはこの私立中高一貫校に中学から在籍しており、内部進学で高校に進みました。

阿部さんが在籍していたグローバルアスリートコースでは、担任の先生が「阿部が一番強い」との理由で3年間クラス会長を任せたそうです。

先生は「気付いたらクラスの中心にいるような子でした。みんなに呼びかけてやらせる会長ではなく、率先して何でもやるから、みんなが付いていく。そんな会長やったと思います」と信頼していました。

また勉強にもきちんと取り組むために、3年間最前列に座っていたというエピソードも。

柔道の実績では、1年生の4月には全日本カデ決勝で優勝し、9月の全日本ジュニアでは準決勝で敗れて3位となりました。

11月の講道館杯でも準決勝で敗れましたが、高校1年生ながら3位に入賞

12月にはグランドスラム・東京に出場し、史上最年少の16歳141日で決勝まで進む快挙を成し遂げます。

2017年2月にはグランプリ・デュッセルドルフで優勝し、IJFワールド柔道ツアーを史上最年少の16歳225日で制しました。

さらに3月の全国高校選手権では個人戦と団体戦の両方で優勝し、団体戦では決勝の大成高校戦で反則勝ちを収めるなど全試合に勝利してチームを優勝に導きます。

この結果、阿部詩さんは最優秀選手にも選出されました。

高校2年生になると、阿部詩さんはさらに成長を見せます。

8月のインターハイ個人戦ではオール一本勝ちで優勝し、松本監督は「高校生のできる柔道じゃない。」と高く評価しました。

 

9月のジュニア交流大会でもオール一本勝ちで優勝し、10月の世界ジュニアでも優勝

11月の講道館杯で初優勝し、兄の一二三さんと同じく高校2年での大会制覇を達成しました。

12月のグランドスラム・東京では66kg級で優勝した兄の一二三さんと共に兄妹優勝を果たし、「今年一番うれしい。きょうは100点」「次は世界選手権で、兄と二人で優勝したい」とコメントしました。

この大会での優勝は阿部詩さんにとって「初めて涙を見せた試合であり、大きな解放感を味わった。」と語っています。

3年生の時には世界選手権代表に選ばれ、66kg級で代表に選ばれた兄の一二三さんと共に兄妹での世界選手権出場となりました。

これは史上初の兄妹での同時出場です。

2018年5月のグランプリ・フフホトでオール一本勝ちで優勝

6月には兄に続いてJOCのネクストシンボルアスリートに選ばれました。

9月の世界選手権では5試合オール一本勝ちで優勝し、兄の一二三さんも優勝したことで、史上初の兄妹同時優勝を果たします。

阿部さんは「自分の進化、成長をアピールできた。ここまでやってきたことは間違いないと確信を持てた。自分が先に優勝してうれしかったが、お兄ちゃんの優勝もうれしかった」と語っています。

さらに「(五輪に)また一歩近づいた。このまま突っ走っていく」と意気込みを示しました。

18歳69日での優勝は、ダリア・ビロディドの17歳345日、田村亮子の18歳27日に次ぐ記録です。

11月のグランドスラム・大阪でもオール一本勝ちで優勝しました。

夙川学院高校での阿部詩さんの成長は止まることなく、柔道キャリアにおいて重要な時期でした。

頭角を現し始めた夙川学院中学校時代

阿部詩さんは、兵庫県にある私立共学校の夙川(しゅくがわ)学院中学校の出身です。

偏差値53~61と中堅層に位置し、学業だけでなくスポーツにも力を入れている学校です。

阿部詩さんは、この環境で柔道家としての基礎を固めることになります。

夙川学院中学校に入学したころから小学生時代とは一変し、練習に真面目に取り組むようになりました。

この変化が飛躍の一因となります。

中学1年生の時には全国中学校柔道大会の52kg級に出場しましたが、3回戦で惜しくも敗れてしまいました。

しかしこの経験が彼女の成長を促し、さらなる努力を重ねるきっかけとなりました。

中学2年生になると阿部さんは全国中学校柔道大会で決勝まで進みましたが、2位に終わります。

3年生の時には全日本カデの決勝で逆転負けを喫し2位となりましたが、全国中学校柔道大会では見事に優勝を果たしました。

決勝ではバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦さんの娘である東橘中学校3年の古賀ひよりさんを内股の有効で破る快挙を成し遂げました。

この勝利は大きな自信となり、柔道家としての才能を開花させる重要な出来事だったのではないでしょうか。

さらに阿部詩さんは全日本ジュニアでも3位に入賞し、中学生ながらシニアの全国大会である講道館杯に出場するまでになりました。

講道館杯では2回戦で敗れましたが、シニアの選手たちと戦うことで自分の実力を客観的に見つめ直します。

天才肌の小学生時代

阿部詩さんは、神戸市にある和田岬小学校の出身です。

彼女の小学生時代は、決して本格的に柔道に取り組んでいたわけではありませんでした。

むしろ練習に対する消極的な姿勢が目立っていた時期だったようです。

阿部詩さんが柔道を本格的に始めたのは、小学校4年生の時でした。

この頃から兄の阿部一二三さんと一緒に、夙川学院中学校・高等学校の柔道部監督を務める松本純一郎先生の指導を受けることになりました。

しかし阿部さんは練習に対して非常に抵抗を示しました。

車から出てこなかったり、道場の入り口付近の壁にへばり付いて駄々をこねたりとイヤイヤ出向いていたようです。

積極的に練習に取り組む兄とは対照的で、阿部さんは柔道に対してあまり前向きではありませんでした。

それでも阿部さんは柔道の才能を持っていると評価されていました。

天才肌とされるセンスは、小学校5年生の時少しずつ開花し始めます。

全国小学生学年別柔道大会40kg級に出場するまでになったのです。

小学校6年生になると、阿部さんは45kg超級に46kgという軽い体重で挑戦しました。

この時はあっけなく敗れてしまいました。

阿部詩さんの小学生時代は、柔道に対する意欲が必ずしも高かったわけではありませんでした。

しかし持ち前のセンスと才能を開花させて、次第に柔道の世界で頭角を現し始めました。

怪物と言われるくらい強くなりたかった学生時代

阿部詩さんは、柔道の世界で「怪物」と言われる存在を目指して日々努力を重ねてきました。

「怪物」とは単に強い選手というだけでなく、「阿部詩は怪物だ」と言わざるを得ないほどの存在を意味しています。

その思いは、学生時代から一貫していました。

阿部詩さんは幼い頃から兄の一二三さんとともに柔道に取り組んできましたが、その中で培われた闘争心と向上心は人一倍強いものでした。

目指すのはただ試合に勝つことではなく、誰もが認める圧倒的な強さを持つ選手になることです。

「怪物」という言葉には、阿部さんの柔道に対する並々ならぬ決意が込められています。

それは、単に強いとか凄いといった次元を超えた存在を目指すという意味だそうです。

東京オリンピックに向けて、「絶対的な強さを手に入れることが、怪物と呼ばれるための第一歩。五輪では絶対的な強さで優勝したい」と語っています。

オリンピックでは見事に優勝をし、「怪物」としての存在を証明できたのではないでしょうか。

 

【阿部詩】学生時代のお兄さんとのエピソード

柔道界で輝かしい成績を残している阿部詩さんですが、成功の裏には兄の阿部一二三さんの大きな影響があります。

特に高校1年生の時に経験した苦しい出来事とそれを乗り越えたエピソードは、彼女の精神的な成長を語る上で欠かせません。

阿部詩さんが高校1年生の時、彼女はインターハイで優勝候補と目されていました。

しかし期待を背負って臨んだ試合の初戦で、まさかの敗北を喫してしまいます。

この予期せぬ敗北に阿部詩さんは大きなショックを受け、これまでの努力が無意味だったかのように感じてしまいました。

どん底に落とされたような気持ちになり、これからどうすればいいのか全く分からなくなってしまったのです。

その時詩さんは頼りになる兄、阿部一二三さんに電話をかけました。

阿部一二三さんは「この負けをどう生かすかは詩次第やぞ」と厳しくも温かい言葉をかけました。

兄の言葉は阿部詩さんにとって大きな励みとなり、この言葉をきっかけに気持ちを入れ替えることができました。

兄の叱咤激励を受けた詩さんは自分の心を見つめ直し、精神的に劇的な成長を遂げました。

この経験を経てぶれない気持ちを持ち続けることができるようになったのです。

阿部詩さんは「お兄ちゃんがいなかったら今の自分はいない」と語り、兄への感謝の気持ちを忘れません。

詩さんは兄の一二三さんの活躍を常に見て、自分も追いつこうと努めました。

阿部一二三さんの影響は単なる技術や戦術だけでなく、詩さんの心を支えてくれました。

阿部一二三さんと詩さんは、お互いを支えあうの最強の絆を持っています。

これからも柔道界で飛躍がきることでしょう。

まとめ

阿部詩出身校まとめ!怪物のように強かった学生時代とは?

阿部詩さんの出身校についてまとめました。

  • 日体大
  • 夙川学院高校
  • 夙川学院中学校
  • 神戸市和田岬小学校

学生時代から「怪物のように強くなりたい」と高みを目指して、柔道をがんばっていたのですね。

兄の阿部一二三さんとのエピソードは、絆がとても深く感じられます。

これからも阿部詩さんの活躍を期待したいです。

ABOUT ME
おおたぶん
はじめまして! おおたぶんです。 神奈川県在住の主婦です。 自宅でお仕事をしたくて、紆余曲折しながらブログと出会いました。 大好きなk-popアーティストの新しい情報や、お出かけの耳より情報を発信しています。
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